11日の東日本大震災をうけ日本共産党は12日、麻生区対策本部(勝又光江本部長)をつくりました。私はただちに、麻生区役所、麻生消防署、麻生警察署を訪れ震災後の状況を聞き取りました。その中で「麻生区では岡上が停電している。それ以外には大きな被害の届けはない」とのことでしたが、麻生市民館に550人、昭和音楽大学に155人、柿生連絡所に10人、そのほかビブレやイトーヨーカ堂などの店舗を含め約1千人の帰宅困難な方がいました。
麻生区対策本部は「できることはなにか」とすぐに救援募金活動に取り組みました。
12日には新百合ヶ丘駅前で救援募金をよびかけ、陸前高田出身の方が「何回電話してもつながらない。心配している気持ちを、みなさんに伝えたい」と訴えると、次々と足が止まり募金に協力してくださいました。「私も何かしたいとおもっていた」「友達がいるから心配だ」など声が次々とかかりました。
13日も新百合ヶ丘で救援募金活動を行い、14日は百合ヶ丘駅前で連日救援募金に取り組みました。東北地方に住む家族の安否を気遣いながら、30歳代の男性は「仙台に住んでいる1人暮らしの父と連絡がとれない。有効につかってください」と募金。80歳代の男性は「どちらの団体ですか」と質問。「共産党です」と応えると「共産党、勝又さんのところですか、頑張ってください」と応じていました。また母親と手をつないで通りかかった小学校入学前の男の子は、母親から預かったお金を「はい」と言って募金に応じました。また、60歳代の女性は「山形の実家に連絡がとれません。こういう行動をしていただくとありがたい」と言って募金箱に。